小林エリカ作品

親愛なるキティーたちへ

親愛なるキティーたちへ

アンネの日記、父の日記(精神科医小林司先生です)とともに、アンネの生きた道のりを辿る旅に出た筆者。等身大のこどばで紡がれる旅のなかで、個の尊厳を問う。
この人の感受性に惹かれ、『光の子ども』も追いかけて読む。
光の子ども 1

光の子ども 1

こちらは漫画の枠には収まらない。1816年、明治三陸地震、その年、ヨーロッパではレントゲンがX線を発見したとの描写からはじまる。2011年に生まれた子、光を主人公とし、フィクションと史実を織り交ぜ、関連資料となる写真などが織り込まれ、巻末には年表もあり。
核を人はこうして手に入れたのだと振り返り、未来を想う。衝撃作。

さっそく失速・・・


体調不良で仕事に穴をあけないという目標を新年に誓ったばかりなのに、さっそく失速してしまいました。
数日寝込んで本日復活。
職場が私の困った体質を理解してくれているので助かります。
クライアントとの約束はなかったものの、二つの勉強会をキャンセルしてしまいました。無念。
具合が悪い時はにゃんこを見るだけで治癒力高まる〜。
ありがとう、イモちゃん!

古川日出男

今日、ひとつのミッション終えたごほーびに、古川日出男のこれ購入。書き出しから私を煽る‼︎
この勢いで月末には、舞台『冬眠する熊に添い寝してごらん』を観に行くんだい🎶

ジョセフ・クーデルカ展


写真というものは日頃から情報の伝達や記録のツールとして身近であるせいか、あるいは私の写真に対する認識がジャーナリズムかグラフィックか程度の単純なカテゴライズしかできていなかったせいか写真展というものにほとんど興味がなかったのですが、そんな自分、反省。
ここまで詩的で、情感に訴え、力強いものなのだと、衝撃を受けてしまったわけです。
クーデルカチェコの写真家で、プラハ侵攻を撮影した作品群は秘密裡にアメリカに渡りキャパにあやかった賞を受賞していますが、今回の展覧会で最も響いたのは『ジプシーズ』というロマ、ジプシーを扱ったものでした。これは実に生命感に溢れ、圧巻です。
それに比べ亡命後、各国を渡り切り取った風景は彼の心象風景のようにどこか寂寥をともなっていました。
近年の彼はパノラマ写真を使って、枯れた大地や廃墟、波打つ海や横倒しにされ運ばれるレーニン像など、なにかの終焉を預言するような作品ばかりで、ちょっと重いな・・と。しかし、これが今、クーデルカに写る現実なのだと受け止めたいとも思ったのでした。

今回、MOMATコレクション『何かがおこっている:1907−1945の軌跡』もクーデルカ展に合わせ開催されていますが、これは現在の日本の動向を意識したキュレーションなのかもしれません。
民族や領土というものを考える昨今、クーデルカ展もこちらも今観るべきエキシビジョンと感じました。

新しい一年にむけて

仕事始め。
書道で「馬」の一文字を書きました。馬車馬のごとく働けるように(笑)

ここ一年、仕事に関してはモヤモヤした状態でありましたが、昨年後半、私の中で風が吹き迷いが吹き飛びました。
現部署でとにかくやるべきことをやったるでー!と思うに至りました。実際に組織全体のあり方について提言できるのも今の部署ならではですし、何より若い人たちがとてもパワフルに動いてくれるので、ここで私が逃げ出すわけにはいかぬのですよ。

専門分野にとらわれない発想がこれからは必要ではないかと思います。
そのためにも専門的な知識と技術の更なる向上に努めるべきとも思います。
なるべく時間を作り、専門書や文献を読んだり、外に出て学びを得、それらを実践に活かしていくなかで、閃きが生まれたらいいなあ・・などと考えております。

春には嵐の予感・・。今以上に忙しくなるとは思いますが、忙しい時こそ謙虚に丁寧に向き合いたいですね。
とにもかくにも体が資本ゆえ、体調管理をしっかりしていこうと誓う仕事始めの日、なのでした。

1ヶ月

最愛のオニの死からもう1ヶ月経ちました。
今日は、息を引き取った日と同じようなあたたかな日差しがさしこむ、さわやかな陽気でした。
このひだまりをもう一度感じさせてあげたい、などとも。

今の私にはもう後悔や懺悔の念はありません。
あの子は10年という短いが尊い生命を全うしたのです。

ありがとう、大好き、会いたい。それだけ。

死してもなお私のセラピスト。最愛の癒しの存在。